東京家庭裁判所 昭和60年(家)7287号 審判 1985年11月19日
申立人
甲田良
申立人
甲城花子
被相続人
乙藤公(昭和17年11月13日生)
主文
被相続人乙藤公の清算後残存すべき相続財産のうち、別紙相続財産目録1記載の土地、建物、2記載の動産及び4記載の電話加入権を申立人甲田良に分与する。
申立人甲城花子の申立てを却下する。
理由
一申立人らは、「被相続人乙藤公の相続財産を申立人らに分与する」との審判を求めた。
二本件記録、当庁昭和五九年(家)第四二七号相続財産管理人選任申立事件記録及び同年(家)第九一三七号相続人捜索の公告申立事件記録によれば、次の事実が認められる。
1 被相続人乙藤公は、昭和五八年九月二七日死亡したが、相続人のあることが明らかでなかつた。当裁判所は、本件申立人甲城花子の申立に基づき、同五九年三月一〇日鈴木恒甫を相続財産管理人に選任し、所定の手続を進めたが、所定期間内に相続人である権利を主張する者がなかつた。被相続人の清算後の相続財産としては、別紙相続財産目録記載の財産が残存している。
2 申立人らと被相続人との関係について
(一) 申立人甲田良(以下「良」と略称する。)は、被相続人と従兄弟(被相続人の母乙藤さよりは良の父甲田金太郎の実妹)の間柄にあり、申立人甲城花子(以下「花子」という。)は、申立人良の子(二女)である。
被相続人の母さよりは、昭和一八年頃海軍軍人であつた夫乙藤治男(被相続人の父)が出征したため、幼ない被相続人を伴なつて、実家である宮城県下の申立人良方に身を寄せ、同人やその両親の世話になつて暮していた。上記治男が昭和二〇年二月に戦死したため、さよりは、昭和三〇年頃農業改良普及員の資格を取得して、同県佐沼町において勤務するようになつたが、その頃まで被相続人と母さよりは、申立人良方で同人やその家族の世話を受けながら生活し、被相続人と申立人花子(昭和二三年生れ)とは兄妹のようにして育てられた。また申立人良は、上記のような境遇にあつたさよりと被相続人母子の生活を親身になつて助け、被相続人の成育についてもかなりの尽力をした。
(二) 被相続人は、昭和三六年三月仙台市内の高校を卒業して上京し、都内の電気関係の会社に就職したが、その頃さよりは、申立人良の世話で仙台市所在の仙台農業寮の教師兼寮母に転職した。他方、申立人花子は、昭和四一年四月に上京し、都内の大学に入学したが、その際、被相続人は、同申立人に対し大学入学の祝品として世界文学全集を贈り、親愛の情を示した。さよりは、被相続人が都内の会社に就職したため、将来自らも上京して被相続人と同居することを夢みるようになり、その時に備えて都内に土地建物を取得したいと考え、昭和四一年秋頃申立人良に相談を持ちかけた。同申立人は、さよりの依頼により何回となく上京し、不動産業者に仲介を依頼するなどして適当な物件を物色した末、その頃別紙相続財産目録1記載の土地建物を探し出し、さよりがこれを購入した後も建物の改造や掃除を手伝い、また庭に植樹してやるなどして、よくその面倒を見た。
(三) さよりは、購入した当初上記建物を間貸していたが、借家人からの家賃の集金を当時都内に居住していた申立人花子に依頼するなどして同女を頼りにし、内心被相続人と同女とが結婚することを望んでいた。さよりは、昭和四七年三月肝臓癌のため約一か月の入院生活の後入院先の仙台市立病院で死亡したが、申立人花子は仕事を休んでその付添看護をし、申立人良においてさよりの葬儀をとり行つた。
(四) 被相続人は、その後就職先の会社を退職して、友人と共同で電気製品の部品のプリントの仕事を始め、母さよりから相続によつて取得した上記建物に居住して独り暮しを続けていた。申立人良は、被相続人が三〇歳を過ぎても独身でいることを案じ、同人に身を固めさせようとして、再三同人に縁談を持ちかけ、候補者の写真を送付して見合いを勧めたりしたが、被相続人は、元来無精な性格であつて、多忙を理由にこれに応じなかつた。
(五) 申立人花子は、昭和五一年五月甲城宏と婚姻し、神奈川県三浦郡葉山町に居を移したが、無精なうえ心臓に持病のある被相続人の身を案じ、時には被相続人に電話で健康状態を尋ねるなどしていた。そして、昭和五七年夏頃被相続人が保谷市内の病院に入院した旨の連絡を受けた際には、早速入院先に同人を見舞つて身の回り品を買い与えるなどし、更に同年暮頃被相続人から電話で「花子のところへ行きたい」と言つてきた際には同申立人方に来て静養するように勧めたりした。しかし、被相続人は、申立人花子方には赴くことなく、昭和五八年九月二七日田無市内の路上で倒れて急死してしまつた。
(六) 申立人らは、警察からの連絡によつて被相続人の死を知り、直ちに他の親族と共にかけつけてその遺体を引取つて火葬に付し、申立人良において自宅に遺骨を運び、その費用を一時立替支払つて仮葬儀を行なつた。更に、同申立人は、昭和五九年七月に被相続人の本籍地(実父の実家である乙藤孝雄方)に遺骨を持参して乙藤家で本葬儀を営んで貰い、その費用や供養料等として金五〇万円を乙藤孝雄に交付し、墓銘碑の建設を同人に依頼した。
三以上認定の事実に基づいて、申立人らが民法九五八条の三所定のいわゆる特別縁故者に該当するか否かについて、以下検討する。
申立人らがいずれも被相続人と生計を同じくした者でもその療養看護に努めた者でもないことは、上記認定の事実によつて明らかである。
そこで、申立人らが上記法条にいう「その他被相続人と特別の縁故があつた」といえるか否かについて考えるに、同法条所定の「その他の特別縁故者」とは、生計同一者、療養看護者に準ずる程度に被相続人との間に具体的かつ現実的な交渉があり、相続財産の全部又は一部をその者に分与することが被相続人の意思に合致するであろうとみられる程度に被相続人と密接な関係があつた者をいうと解すべきである。
これを申立人らについてみるに、まず申立人良は、被相続人の幼時からその母さよりともどもよくその面倒を見て、早くに実父を亡くした被相続人の成育を親身になつて助け、被相続人の父親代わりの役目を果してきた者であり、被相続人の相続財産の主要部分をなす上記土地建物の購入についても多大の尽力をしたのみならず、独り暮しを続けている被相続人の身を案じて再三同人に縁談を勧めるなどしていた者であるから、被相続人との関係で上記の「その他の特別縁故者」に該当するものと認めるのが相当である。これに反し、申立人花子の場合には、幼少時に被相続人と同居し、兄妹同様にして育てられ、成長してからも親族として親しく交渉し、同申立人において被相続人の母の付添看護をしたりしたことはあつたものの、同申立人が婚姻した後は、被相続人との交渉の程度が薄くなり、時には電話で被相続人の健康状態を尋ねたり、被相続人が入院した際にその見舞に訪れたりしたに過ぎないのであつて、上記の交渉の程度は、親族として世間一般に通常見られる程度のものに過ぎないというべきである。上記によれば、申立人花子が生計同一者、療養看護者に準ずる程度に被相続人との間に具体的かつ現実的な交渉があつたとは認め難く、従つて、同申立人が被相続人との関係で特別縁故者に該当するものと認めることはできない。
四以上の次第で、申立人花子の本件申立てはその理由がないから、これを却下すべきであり、申立人良の申立てについてはこれを認容すべきであるが、同申立人に対する相続財産の分与の程度について案ずるに、上記認定の縁故関係の程度、相続財産の内容その他諸般の事情を総合勘案すれば、同申立人に対して上記相続財産の全部を分与するのは相当でなく、該相続財産のうち主文掲記の部分のみを分与するのが相当であると認められる。
よつて、相続財産管理人鈴木恒甫の意見を聴いたうえ、主文のとおり審判する。
(家事審判官松岡 登)
相続財産目録
一 不 動 産
(1) 土 地
ア所在 保谷市富士町六丁目
地番 五七〇番五
地目 宅 地
地積 一四八・七六平方メートル
イ所在 同 所
地番 五七〇番の四一
地目 公衆用道路
地積 一三平方メートル
(2) 建 物
所在 同所五七〇番地五
家屋番号 五七〇番五の二
種類 共同住宅
構造 木造瓦葺弐階建
床面積
壱階 五一・二三平方メートル
弐階 五五・三七平方メートル
二 動 産
カメラ ニコンF 一台
三 債 権 (昭和六〇・一一・八現在)
(1) 安田信託銀行株式会社(浦和支店) 貸付信託
ア 五年五号 三〇八回
一〇二番 金二七〇、〇〇〇円
イ 五年五号 三一八回
一〇三番 金三〇〇、〇〇〇円
ウ 五年五号 三一八回
一〇四番 金二五〇、〇〇〇円
エ 五年 三五〇回
一〇五番 金二五〇、〇〇〇円
オ 三七八回 五年
一〇六番 金一、〇九〇、〇〇〇円
カ 三七九回 五年
一〇七回 金四四〇、〇〇〇円
(2) 安田信託銀行株式会社(浦和支店) 指定金銭信託
二九三五〇七七八番 証書番号 甲一番
残高 金一、三八五円
(3) 安田信託銀行株式会社(浦和支店) 普通預金
口座番号 二二八一六五一番
残高 金一一五、三二四円
(4) 株式会社富士銀行(越谷支店) 普通預金
口座番号 九八九八四四番
残高 金四六一、二三〇円
四 電話加入権
日本電信電話株式会社
田無局(〇四二四局)六五局
一九二〇番